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4-10 奪うもの、奪われるもの 1

last update Last Updated: 2025-03-23 09:36:17
「はい……はい。そうなんです……。どうぞよろしくお願い致します…」

朱莉は丁寧に挨拶をすると電話を切った。今電話をかけていた相手はマロンのトレーナーである。1週間以内にマロンを手放す様に言われた朱莉は必死でマロンの引き取り手を探していたのであった。

(何としてもマロンを大切に育ててくれる人を探してあげなくちゃ……!)

朱莉はマロンを明日香の命令で手放さなければならなくなったが、マロンには幸せになって貰いたかった。それが最後までマロンを守り切れなかった自分の罪滅ぼしだと思い、必死に引き取り手を探していたのだ。

トレーナーの前にはマロンを購入したペットショップにも相談した。ペットショップの店員は朱莉の話を驚きながら聞いてくれたが最後は同情してくれて、こちらでも心当たりの人を当たってみますと言ってくれたのだ。

 朱莉は最悪1週間で良い飼い主が見つからなければ、この際ペットホテルにマロンを預けて明日香から守る覚悟を決めていた。

「さて……次はネットで探してみようかな……」

朱莉はチラリとマロンの様子を伺った。今マロンはサークルの中で犬用おもちゃで遊んでいる。その愛らしい姿を見ていると、いつしか朱莉の目には涙が浮かんでいた。

「駄目駄目、泣いてる暇があるなら……マロンの引き取り手を探さなくちゃ!」

そして朱莉はPCを前に、必死で里親を探してくれそうなサイトを検索し続けた。

――20時

「ただいま、明日香。どうした? まだ食事を済ませていなかったのか?」

翔は家政婦の作ってくれた豪華な食事がまだ手付かず状態でテーブルに並んでいるのを見て、リビングでテレビを観ている明日香に声をかけた。

「ええ。大事な話があるから2人で一緒に食事をしようと思って翔を待っていたのよ」

「そうか。それじゃ2人で食事しながら、その大事な話を聞かせてくれないか?」

翔は久々に明日香と食事が出来るのが嬉しかった。

「ええ。とても面白い話なんだから……」

明日香は笑みを浮かべながたのだった――

****

「このサーモン料理、美味しいわね?」

明日香は白ワインで調理したサーモンを口に運んでいる。

「ああ、さすがは一流家政婦の女性だな」

翔も満足そうに返事をする。

「ところで明日香。話って言うのは何だ?」

「実はね、今日少し用事があって朱莉さんの部屋へ行ったのよ」

明日香はシャンパンを飲んだ。

「な、何だって!?
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     10月22日—— その日は突然訪れた。朱莉が洗濯物を干し終わって、部屋の中へ入ってきた時の事。翔との連絡用のスマホが部屋の中で鳴り響いていた。(まさか明日香さんが!?)すると着信相手は姫宮からであった。すぐにスマホをタップすると電話に出た。「はい、もしもし」『朱莉さん、明日香さんが男の子を先程出産されました』「え? う、生まれたんですね!?」『はい、かなりの難産にはなりましたが、無事に出産することが出来ました。私は今副社長とアメリカにいます。副社長は日本に戻るのは10日後になりますが、私は一時的に日本へ帰国する予定です。朱莉さんはもう引っ越しの準備を始めておいて下さい。朱莉さんが今現在お住いの賃貸マンションの解約手続きは私が帰国後行いますので、そのままにしておいていただいて大丈夫です。それではまた連絡いたします』姫宮からの電話はそこで切れた。(明日香さんがついに赤ちゃんを出産……そしてこれから私の子育てが始まるんだ……。それにしても難産って……明日香さん大丈夫なのかな……?)朱莉は明日香のことが心配になった。ただでさえ、情緒不安定で一時は薬を服用していたと聞く。回復の兆しがあり、薬をやめてから明日香は翔との子供を妊娠したが、その後は翔と姫宮の不倫疑惑が浮上。結局その件は航の調査で2人の間に不倫関係は認めらず、誤解だったことが分かったが明日香は難産で苦しんだ……。「明日香さん、元気な姿で日本に赤ちゃんと一緒に戻ってきて下さい」朱莉はそっと祈った。——その後朱莉は梱包用品を買い集めて来るとマンションへと戻り、買い集めていたベビー用品の梱包を始めた。一つ一つ手に取って荷造りを始めていると、自然と琢磨や航のことが思い出されてきた。「あ……このベビードレスは確か九条さんと一緒に買いに行ったんだっけ。そしてこれは航君と一緒に買った哺乳瓶だ……」朱莉の胸に懐かしさが込み上げてくる。(あの時は誰かが側にいてくれたから寂しく無かったけど……)だが、いつだって朱莉が一番傍にいて欲しいと願っていた翔の姿はそこには無い。翔と2人で過ごした日々は片手で数えるほどしか無かった。むしろ、冷たい視線や言葉を投げつけらる数の方が多かったのだ。(でも……翔先輩。私が明日香さんの赤ちゃんを育てるようになれば少しは私のこと、少しは意識してくれるかな……?)一度

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    観覧車を降りた後は、京極の誘いでカフェに入った。「朱莉さん。食事は済ませたのですか?」「はい。簡単にですが、サラダパスタを作って食べました」「そうですか、実は僕はまだ食事を済ませていないんです。すみませんがここで食事をとらせていただいても大丈夫ですか?」「そんな、私のこと等気にせず、お好きな物を召し上がって下さい」(まさか京極さんが食事を済ませていなかったなんて……)「ありがとうございます」京極はニコリと笑うと、クラブハウスサンドセットを注文し、朱莉はアイスキャラメルマキアートを注文した。注文を終えると京極が尋ねてきた。「朱莉さんは料理が好きなんですか?」「そうですね。嫌いではありません。好き? と聞かれても微妙なところなのですが」「微妙? 何故ですか?」「1人暮らしが長かったせいか料理を作って食べても、なんだか空しい感じがして。でも誰かの為に作る料理は好きですよ?」「そうですか……それなら航君と暮していた間は……」京極はそこまで言うと言葉を切った。「京極さん? どうしましたか?」「いえ。何でもありません」 その後、2人の前に注文したメニューが届き、京極はクラブハウスサンドセットを食べ、朱莉はアイスキャラメルマキアートを飲みながら、マロンやネイビーの会話を重ねた——**** 帰りの車の中、京極が朱莉に礼を述べてきた。「朱莉さん、今夜は突然の誘いだったのにお付き合いいただいて本当にありがとうございました」「いえ。そんなお礼を言われる程ではありませんから」「ですがこの先多分朱莉さんが自由に行動できる時間は……当分先になるでしょうからね」何処か意味深な言い方をされて、朱莉は京極を見た。「え……? 今のは一体どういう意味ですか?」「別に、言葉通りの意味ですよ。今でも貴女は自分の時間を犠牲にしているのに、これからはより一層自分の時間を犠牲にしなければならなくなるのだから」京極はハンドルを握りながら、真っすぐ前を向いている。(え……? 京極さんは一体何を言おうとしているの?)朱莉は京極の言葉の続きを聞くのが怖かった。出来ればもうこれ以上この話はしないで貰いたいと思った。「京極さん、私は……」たまらず言いかけた時、京極が口を開いた。「まあ。それを言えば……僕も人のことは言えませんけどね」「え?」「来月には東京へ戻

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   1-3 京極と夜のドライブ 1

     朱莉が航のことを思い出していると、運転していた京極が話しかけてきた。「朱莉さん、何か考えごとですか?」「いえ。そんなことはありません」朱莉は慌てて返事をする。「ひょっとすると……安西君のことですか?」「え? 何故そのことを……?」いきなり確信を突かれて朱莉は驚いた。するとその様子を見た京極が静かに笑い出す。「ハハハ……。やっぱり朱莉さんは素直で分かりやすい女性ですね。すぐに思っていることが顔に出てしまう」「そ、そんなに私って分かりやすいですか?」「ええ。そうですね、とても分かりやすいです。それで朱莉さんにとって彼はどんな存在だったのですか? よろしければ教えてください」京極の横顔は真剣だった。「航君は私にとって……家族みたいな人でした……」朱莉は考えながら言葉を紡ぐ。「家族……? 家族と言っても色々ありますけど? 例えば親子だったり、姉弟だったり……もしくは夫婦だったり……」最期の言葉は何処か思わせぶりな話し方に朱莉は感じられたが、自分の気持ちを素直に答えた。「航君は、私にとって大切な弟のような存在でした」するとそれを聞いた京極は苦笑した。「弟ですか……それを知ったら彼はどんな気持ちになるでしょうね?」「航君にはもうその話はしていますけど?」朱莉の言葉に京極は驚いた様子を見せた。「そうなのですか? でも安西君は本当にいい青年だと思いますよ。多少口が悪いのが玉に傷ですが、正義感の溢れる素晴らしい若者だと思います。社員に雇うなら彼のような青年がいいですね」朱莉はその話をじっと聞いていた。(そうか……京極さんは航君のことを高く評価していたんだ……)その後、2人は車内で美浜タウンリゾート・アメリカンビレッジに着くまでの間、航の話ばかりすることになった——****「どうですか? 朱莉さん。夜のアメリカンビレッジは?」ライトアップされた街を2人で並んで歩きながら京極が尋ねてきた。「はい、夜は又雰囲気が変わってすごく素敵な場所ですね」「ええ。本当にオフィスから見えるここの夜景は最高ですよ。社員達も皆喜んでいます。お陰で残業する社員が増えてしまいましたよ」「ええ? そうなんですか?」「そうですよ。あ、朱莉さん。観覧車乗り場に着きましたよ?」2人は夜の観覧車に乗り込んだ。観覧車から見下ろす景色は最高だった。ムードたっ

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした    1-2 それぞれの今 2

     その日の夜のことだった。朱莉の個人用スマホに突然電話がかかって来た。相手は京極からであった。(え? 京極さん……? いつもならメールをしてくるのに、電話なんて珍しいな……)正直に言えば、未だに京極の事は姫宮の件や航の件で朱莉はわだかまりを持っている。出来れば電話では無く、メールでやり取りをしたいところだが、かかってきた以上は出ないわけにはいかない。「はい、もしもし」『こんばんは、朱莉さん。今何をしていたのですか?』「え? い、今ですか? ネットの動画を観ていましたが?」朱莉が観ていた動画がは新生児のお世話の仕方について分かり易く説明している動画であった。『そうですか、ではさほど忙しくないってことですよね?』「え、ええ……まあそういうことになるかもしれませんが……?」一体何を言い出すのかと、ドキドキしながら返事をする。『朱莉さん。これから一緒にドライブにでも行きませんか?』「え? ド、ドライブですか?」京極の突然の申し出に朱莉はうろたえてしまった。今まで一度も夜のドライブの誘いを受けたことが無かったからだ。(京極さん……何故突然……?)しかし、他ならぬ京極の頼みだ。断るわけにはいかない。「わ、分かりました。ではどうすればよろしいですか?」『今から30分くらいでそちらに行けると思いますので、マンションのエントランスの前で待っていて頂けますか?』「はい。分かりました」『それではまた後程』用件だけ告げると京極は電話を切った。朱莉は溜息をつくと思った。(本当は何か大切な話が合って、私をドライブに誘ったのかな……?)****30分後――朱莉がエントランスの前に行くと、そこにはもう京極の姿があった。「すみません、お待たせしてしまって」「いえ、僕もつい先ほど着いたばかりなんです。だから気にしないで下さい。さ、では朱莉さん。乗って下さい」京極は助手席のドアを開けるた。「は、はい。失礼します」朱莉が乗り込むと京極はすぐにドアを閉め、自分も運転席に座る。「朱莉さん、夜に出かけたことはありますか?」「いいえ、滅多にありません」「では美浜タウンリゾート・アメリカンビレッジに行きましょう。夜はそれはとても美しい景色に変わりますよ? 一緒に観覧車に乗りましょう」「観覧車……」その時、朱莉は航のことを思い出した。航は観覧車に乗

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   第2部 1-1 それぞれの今 1

     数か月の時が流れ、季節は10月になっていた。カレンダーの3週目には赤いラインが引かれている。そのカレンダーを見ながら朱莉は呟いた。「予定通りなら来週明日香さんの赤ちゃんが生まれてくるのね…」まだまだこの季節、沖縄の日中は暑さが残るが、夏の空とは比べ、少し空が高くなっていた。琢磨とも航とも音信不通状態が続いてはいたが、今は寂しさを感じる余裕が無くなってきていた。翔からは頻繁に連絡が届くようになり、出産後のスケジュールの取り決めが色々行われた。一応予定では出産後10日間はアメリカで過ごし、その後日本に戻って来る事になる。朱莉はその際、成田空港まで迎えに行き、六本木のマンションへと明日香の子供と一緒に戻る予定だ。「お母さん……」 朱莉は結局母には何も伝えられないまま、ズルズルここまできてしまったことに心を痛めていた。どうすれば良いのか分からず、誰にも相談せずにここまで来てしまったことを激しく後悔している。そして朱莉が出した結論は……『母に黙っていること』だった。あれから少し取り決めが変更になり、朱莉と翔の婚姻期間は子供が3歳になった月に離婚が決定している。(明日香さんの子供が3歳になったら今までお世話してきた子供とお別れ。そして翔先輩とも無関係に……)3年後を思うだけで、朱莉は切ない気持ちになってくるが、これは始めから決めらていたこと。今更覆す事は出来ないのだ。現在朱莉は通信教育の勉強と、新生児の育て方についてネットや本で勉強している真っ最中だった。生真面目な朱莉はネット通販で沐浴の練習もできる赤ちゃん人形を購入し、沐浴の練習や抱き方の練習をしていたのだ。(本当は助産師さん達にお世話の仕方を習いに行きたいところなんだけど……)だが、自分で産んだ子供ではないので、助産師さんに頼む事は不可能。(せめて私にもっと友人がいたらな……誰かしら結婚して赤ちゃんを産んでる人がいて、教えて貰う事ができたかもしれないのに……)しかし、そんなことを言っても始まらない。そして今日も朱莉は本やネット動画などを駆使し、申請時のお世話の仕方を勉強するのであった――****  東京——六本木のオフィスにて「翔さん、病院から連絡が入っております。まだ出産の兆候は見られないとのことですので、予定通り来週アメリカに行けば恐らく大丈夫でしょう」姫宮が書類を翔に手

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   10-22 戻りつつある日常 2

    「ただいま……」玄関を開け、朱莉は誰もいないマンションに帰って来た。日は大分傾き、部屋の中が茜色に代わっている。朱莉はだれも使う人がいなくなった、航が使用していた部屋の扉を開けた。綺麗に片付けられた部屋は、恐らく航が帰り際に掃除をしていったのだろう。航がいなくなり、朱莉の胸の中にはポカリと大きな穴が空いてしまったように感じられた。しんと静まり返る部屋の中では時折、ネイビーがゲージの中で遊んでいる気配が聞こえてくる。目を閉じると「朱莉」と航の声が聞こえてくるような気がする。朱莉の側にいた琢磨は突然音信不通になってしまい、航も沖縄を去って行ってしまった。朱莉が好きな翔はあの冷たいメール以来、連絡が途絶えてしまっている。肝心の京極は……朱莉の側にいるけれども心が読めず、一番近くにいるはずなのに何故か一番遠くの存在に感じてしまう。「航君……。もう少し……側にいて欲しかったな……」朱莉はすすり泣きながら、いつまでも部屋に居続けた——**** 季節はいつの間にか7月へと変わっていた。夏休みに入る前でありながら、沖縄には多くの観光客が訪れ、人々でどこも溢れかえっていた。京極の方も沖縄のオフィスが開設されたので、今は日々忙しく飛び回っている様だった。定期的にメッセージは送られてきたりはするが、あの日以来朱莉は京極とは会ってはいなかった。航が去って行った当初の朱莉はまるで半分抜け殻のような状態になってはいたが、徐々に航のいない生活が慣れて、ようやく今迄通りの日常に戻りつつあった。 そして今、朱莉は国際通りの雑貨店へ買い物に来ていた。「どんな絵葉書がいいかな~」今日は母に手紙を書く為に、ポスカードを買いに来ていたのだ。「あ、これなんかいいかも」朱莉が手に取った絵葉書は沖縄の離島を写したポストカードだった。美しいエメラルドグリーンの海のポストカードはどれも素晴らしく、特に気に入った島は『久米島』にある無人島『はての浜』であった。白い砂浜が細長く続いている航空写真はまるでこの世の物とは思えないほど素晴らしく思えた。「素敵な場所……」朱莉はそこに行ってみたくなった。 その夜――朱莉はネイビーを膝に抱き、ネットで『久米島』について調べていた。「へえ~飛行機で沖縄本島から30分位で行けちゃうんだ……。意外と近い島だったんだ……。行ってみたいけど、でも

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